livermore1940’s diary

未来を予想しながら、今を確認するブログ☻

新サイト開設のお知らせ

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しばらくぶりの当ブログの更新となりました。

 

新しいサイト作りに時間をさいていましたが、いよいよ内容も充実してきましたので、改めて明るい未来を応援するサイトをご覧いただければ幸いです。


 

日本の未来を応援するブログ

http://economy-and-assetformation.com/


 

 

 

 

過去から学ぶ 戦時統制

前回の記事からもう少し踏み込んで書いてみます。



前回、2.26事件があった時期から国家社会主義的な風潮が強くなってきたと書きました。



国家社会主義


これは名前の通り、国家ぎ私有財産を否定する社会主義体制を意味します。


国家総動員法が制定され、表現の自由は奪われ、食料も配給制になっていく完全統制国家が戦争末期には定着していました。



現在の感覚で言うと、愛国を叫ぶのは『右』ですね。


しかし、右と左も極端な思想になればなるほど統制せざるを得ないという事になります。


今では信じられないかもしれませんが、あの戦争に突き進んでいった時、国民の世論は『開戦』だったのです。



なぜなら朝日新聞や大手新聞社が対米開戦を煽りに煽ったからです。


情報も統制されていました。



これは現代でも形を変えて(反戦など)起こっているのですが。



当時朝日新聞の記者をつとめていたのが前回の記事で記した尾崎秀美、なんとソ連のスパイだったのです。



もちろん陸軍にも、また政府内にもスパイは多く潜んでいたのです。




少し視野を広げてみますとうなづける事実がたくさんあります。



日本は支那中国国民党)と戦争をしていました。


中国国民党ソビエトの弟分である中国共産党もまた争っていました。



日本と国民党が争っておいしいのはソ連なのですね。



日米対戦の末期、日本の戦況がほぼ負けの確定した時、二発の原爆が投下された途端に攻め込んできたのもまたソ連なのです。



私たちが歴史を学ぶ時、どうしてもファクターが抜け落ちてしまう事が多いのです。



もちろん、この大戦に至るまでの国際関係や経済的要因も複雑に絡み合ってきます。



ただ、経済的に困窮した人々は革命や極端な勢力を支持し、結果冷静な分析が出来なくなるのもまた事実だと思います。



これら過去の出来事を広く見つめてみるだけで、今後の未来へ私たちが取るべき行動もおぼろげながら見えてくるのではないでしょうか?



また今後、さらに詳しく現代までの流れについて書いていこうと思いますが、一旦は第二次大戦については終了します。



次は、今日本で起こっている諸問題について考えてみたいと思います。



過去に学ぶ 第二次大戦

さて、第二次世界大戦を振り返ってみましょう。


先の大戦では、色々な見方があります。


大日本帝国による侵略戦争史観もあれば、大日本帝国によるアジア解放の戦争などなど。



この戦争への見方は、旧ソ連から発見されたいわゆる『ベノナ文書』、この機密文書の発見により大きく転換しました。



なぜ、米国と日本は戦争をする必要があったのか?


この要因は冷静に考えてみる必要があります。



前回の記事ではテロによる戦闘が世界で繰り広げられると書きましたが、この第二次世界大戦前にも日本でテロがあったのはご存知の方も多いと思います。



いわゆる『2.26事件』です。



これは、旧日本陸軍の統制派と言われる青年将校によって起こされた政府要人の暗殺事件です。



この頃から、日本は国家社会主義の空気に色濃く包まれていくこととなります。



私たちは、あの戦争を考えるときに『点』で考えがちになってしまいます。


なので、侵略戦争や解放戦争のような極端な見方になってしまうのだと思います。



しかし。あの戦争に行き着くまでの経緯や世界情勢をしっかり見て行くことによって、ある程度クリアになっていくのです。



あの戦争を語る上で、一つのファクターが抜けている事が多いのです。



それが『ソビエト連邦』の存在です。



当時のソビエトは、コミンテルンという共産党スパイ組織を世界各国に潜り込ませていました。



日本でも有名なのが、ゾルゲ事件で捕まったゾルゲ、尾崎秀美です。



次の記事で少し踏み込んで書こうと思っていますが、結局あの大戦で利益を得た国はどこだったでしょうか?



日本やドイツやイタリアはボロボロ、アメリカや欧米諸国はアジアでの植民地を失いました。



ソ連は?



中国の共産化に成功し、ドイツを半分、北方領土朝鮮半島の半分を共産化。ベトナムキューバ、世界の多くを赤化することに成功したのです。


また、日本も共産化まであと一歩というところまでいっていたのです。



世界の未来は...

本日はブリュッセルで爆破テロがありましたね。


いたましい事件であり、犠牲になられた方々へ心から哀悼の意を表します。



今、世界では何が起きているのか?


最近は、テロといった国単位ではなく『組織単位』での戦争が多くなっています。


この背景には、様々な要因があろうかとは思いますが、まず大きなポイントとして『核兵器』が世界中に拡散してしまった事が挙げられるかと思います。



一度国が核を持ってしまえば容易に戦争を始める事が出来なくなります。


それは大国同士が核を持ち、戦争にまで至らなかった東西冷戦を思い返すと良く分かると思います。



核を持つ国同士が戦争を始めてしまえば、例えば一方が核を使用してしまうともう一方も核を使う事になるのは明白です。



お互いの国が焼け野原になって歯止めが効かなくなってしまい、結果どちらの国も勝ち負けどころか自身を滅ぼしてしまう事になりかねないのです。



現実として核兵器がある種の戦争の抑止力になっている事は、否定できません。



そうして、近現代の戦争の主流はテロに移り始め、その傾向は今後も続いて行くことになるのではないかと筆者は考えています。



もっと言えば、全面衝突が出来ない国と国との代理戦争として、組織を使ったテロ活動も多くなっていくのではないか?



そして、テロ組織が核兵器を持ってしまう可能性も否定は出来ません。



これからは、テロに対していかに向き合っていくかという事も私たちの未来を考えて行く上でとても必要な事だと思っています。



それと同時に、国と国との戦争も第二次大戦以降、減少傾向にはあるものの、東アジアを見ただけでも警戒しておくに越したことはないのではないでしょうか?



中国バブルは崩壊したと言われていますが、現共産党政権がもし崩壊に近づいた時、アジアで有事が起こらないとはなぜ断言できるでしょうか?



未来を予想する為には、私たちは過去も勉強する必要があります。



戦争やテロリスクが高まる時はどんな時なのか?



また、過去の戦争はどんな形で破滅的な戦いに突き進んでいったのか?



次回の記事では、その辺りを検証していこうと思います。



卒業

今週のお題「卒業」




高校時代によく聴いた歌。



尾崎豊『卒業』


この歌の締めくくりである『この支配からの卒業』というワンフレーズがある。



最後の最後に、このフレーズに繋がる歌詞は


仕組まれた自由に、誰も気付かずに、あがいた日々も終わる。


この支配からの卒業。



である。



高校生であった少年には『仕組まれた自由』の意味が理解できなかった。


10年以上の時を経て、ようやく自分の解釈へと辿り着いた。



自由と孤独は抱き合わせ。


不自由と賑やかさもまたセットである。



さあて、本当に自由を謳歌出来るほど強い人間はどこにいるのだろうとふと思った事がある。



孤独を本当に楽しめる人間だけが自由を享受することがもし出来るとすれば、不自由や束縛を求める人が世の中の大半なのではないだろうか?



本当に孤独を楽しめる人間は、恐らくまわりから見れば孤独に見えないだろうから、どれだけの割合で自由を謳歌している人がいるかは未知数であると考える。



自由と孤独はセット、切っても切り離せない。



ましてや、10代の少年にその孤独を受け入れられる隙間は、心の中にどれだけ存在しているのか。



人は言う。



『自由を謳歌するには責任も必要なのである。』



自由と責任はセット?



仕組まれた自由とは、まさにこんな事を言うのだと解釈した。



そもそも責任が発生した時点で、それをなぜ『自由』と呼ぶ事ができるのか?



責任とセットとなるのは、明らかに不自由なのである。




少年たちは、間違いなく仕組まれた自由の中で、自由に生きていた。




あくまで私の解釈である。



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未来を信じ 病を克服する 2

前回の記事からの続きです。



そう、メニエール病には本当に悩まされました。


それでも、あの20代の貴重な数年をこの病と闘った事は、今振り返りますと本当に自分を強くしてくれたと思うんです。



必ず治してみせる。



そして、克服する為にはどんな事をしなければいけないのか?


いつもそんな事を考え、良いとされるものを常に試していました。



ある日、一つの事に気付いたのです。



耳の症状(難聴、めまい、聴覚過敏、反響)が強ければ強いほど、耳から肩にかけての筋肉がバリバリに張っていたのです。




もともと肩こりが酷かった自分ですので、この事に気がついたのは罹患してから半年近く経った時でした。




内リンパ水腫?


リンパ液が耳に溜まって行く。


何故たまってしまうのか?




リンパの流れが極端に悪くなってしまっているのではないか?




と思ったのです。



これはあくまで、僕の推測にしか過ぎませんので他の人がそうかと言われれば保証はできません。



ただ、筆者が直接あった人の中で、耳の症状を感じた事のある人は今のところ100%、ひどい肩こり症状を持っていたのです。



そこから私の意識は耳から鎖骨にかけての『胸鎖乳突筋』をほぐす事に集中したのです。



ストレッチは朝昼晩、毎日しました。

特にこの部位がほぐれるように意識して。



マッサージも毎週通いました。



そして鍼灸治療。




そして2ヶ月。


ステロイドをはじめ飲み薬によって薬漬けといってもオーバーであると叱られない程だった自分も、次第にこの薬を減らしていきました。



自分の中で1番効果を実感できたのは、耳回りの筋肉にコミットした鍼治療でした。



難聴から聴覚過敏、めまいまで次第に回復傾向に向かったのです。





『病は気から』とか精神論を語りたい訳ではありません。



また、この針治療がすべての方に効果があるとも断言できません。



すべて筋肉の過緊張の仕業であるとも思いません。




ただ、今の症状は何が原因なのか?



何をすれば良くなるのか?



こう考え、いろいろ試して行く事は絶対に無駄にはならないことはハッキリと言えます。



少しでもこの情報が、同じ症状で悩む人達の力になれれば幸いです☻




未来を信じ、病を克服する

メニエール病という病気を聞いたことがあるでしょうか?



これは耳の病気なのですが、原因は『内リンパ水腫』といって、耳の近くに水腫が溜まり、難聴、耳鳴り、めまい、聴覚過敏など、様々な辛い症状が伴う病気です。



再発を伴い、体は元気なのに耳の症状によってとても辛い思いのする病気であり、苦しんでいる方も多くいるそうですが、現状完治する明確な治療はなく、ステロイドによって対処療法していく事が限界な病気です。



よって、難病指定も受けています。


6年前に、筆者もこの病気にかかりました。


この病気の怖いところは、音が聞こえないといった難聴症状よりも耳鳴りや聴覚過敏にあると感じた。

音という音から離れたい、離れても耳鳴りがする、もれなくめまいがついてくると言った精神的な辛さがひどいものでした。



確かに、この先どうなってしまうんだろう?


一生再発を繰り返しながらこんな病気と付き合うのか?


と悲観することも多々ありました。


しかし、何事もとことん調べてみる性分がある筆者は、入院中の暇な時間には常にこのメニエル病について調べ、良いとされる治療や方法についてトコトン調べていった。



次第に、様々な方法を試して行くうちに、必ず治してやる、いや、絶対に治す!


という強い意思が湧いて来た事を覚えています。


今ではメニエル病を克服し、たまに症状が出そうな時はその時に見つけた対処方を行い、すぐに健康体に戻している。


あくまで、自分が見つけた自分にしか試していない方法なので、全てのメニエルに苦しむ方々を救うことが出来るといった方法とは断言できません。


ただ、あの時、筆者を救ってくれた『情報』、あのどん底から希望をもたらしてくれた情報、そして自分をここまで回復させてくれた方法が一人でも同じ症状に苦しむ人を救えることが出来れば幸いです。



次の記事では、自分が体験した闘病記録を書いてみようと思います。