過去から学ぶ 戦時統制
前回の記事からもう少し踏み込んで書いてみます。
前回、2.26事件があった時期から国家社会主義的な風潮が強くなってきたと書きました。
『国家社会主義』
これは名前の通り、国家ぎ私有財産を否定する社会主義体制を意味します。
国家総動員法が制定され、表現の自由は奪われ、食料も配給制になっていく完全統制国家が戦争末期には定着していました。
現在の感覚で言うと、愛国を叫ぶのは『右』ですね。
しかし、右と左も極端な思想になればなるほど統制せざるを得ないという事になります。
今では信じられないかもしれませんが、あの戦争に突き進んでいった時、国民の世論は『開戦』だったのです。
なぜなら朝日新聞や大手新聞社が対米開戦を煽りに煽ったからです。
情報も統制されていました。
これは現代でも形を変えて(反戦など)起こっているのですが。
当時朝日新聞の記者をつとめていたのが前回の記事で記した尾崎秀美、なんとソ連のスパイだったのです。
もちろん陸軍にも、また政府内にもスパイは多く潜んでいたのです。
少し視野を広げてみますとうなづける事実がたくさんあります。
中国国民党とソビエトの弟分である中国共産党もまた争っていました。
日本と国民党が争っておいしいのはソ連なのですね。
日米対戦の末期、日本の戦況がほぼ負けの確定した時、二発の原爆が投下された途端に攻め込んできたのもまたソ連なのです。
私たちが歴史を学ぶ時、どうしてもファクターが抜け落ちてしまう事が多いのです。
もちろん、この大戦に至るまでの国際関係や経済的要因も複雑に絡み合ってきます。
ただ、経済的に困窮した人々は革命や極端な勢力を支持し、結果冷静な分析が出来なくなるのもまた事実だと思います。
これら過去の出来事を広く見つめてみるだけで、今後の未来へ私たちが取るべき行動もおぼろげながら見えてくるのではないでしょうか?
また今後、さらに詳しく現代までの流れについて書いていこうと思いますが、一旦は第二次大戦については終了します。
次は、今日本で起こっている諸問題について考えてみたいと思います。